人間であるキリスト
私たちと同じ肉体を持った人間であるキリスト、イエスがどのようにして神様の御心を成したのか
ルカとはどういう人物?
ルカによる福音書の記者であるルカは4人の福音書記者の中で唯一の異邦人でした。当時ユダヤ教の人たちは、ユダヤ人以外の人のことを異邦人とみなしていました。
彼はギリシャ人であり、イエスに会ったことがありません。だからおもには、使徒パウロからイエスの御言葉を学んだ人でした。
当時異邦人という存在は差別扱いされ、罪びと扱いをされていました。ユダヤの人々は異邦人とは交際をしなかったそうです。
しかしルカは、そのコンプレックスをバネにして、だからこそ自分が異邦人たちに向けてイエスの福音をわかりやすく伝えていこうと考えました。
誰よりも良く調べ、パウロをはじめ多くの弟子たちからイエスのことを詳しく聞き、異邦人が理解しにいくいであろう問題点を洗い出し、美しく洗練された文章で、ギリシャ語でこの福音書を書き綴りました。
そのため、ルカによる福音書には他の福音書にはみられない特徴があります。彼の職業は医者であり、歴史家、文筆家、また画家でもあったと言われています。
ルカがいちばん知りたかったこと
そんなルカがいちばん知りたかったことは、異邦人であり罪びとである自分でも、イエスを信じれば本当に救われるのだろうか、ということでした。
それゆえ、彼の福音書には、罪びとが許されたという記述がとても多いのです。
ルカ23:39~43では、
イエスの隣で十字架にかけられた犯罪人のひとりがイエスに、キリストなら自分を救ってみよ、などと悪口を言うと、もう一人の犯罪人はそれをたしなめて、自分たちは自分のやったことの報いを受けているが、この方は何も悪くないと言いました。そしてイエスに「あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と言うと、イエスは、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」とお答えになりました。
ルカは、十字架に掛けられるほどの罪びとでも、罪を認め悔い改めれば、救ってくださるイエスの慈悲深い愛に心をうたれたことでしょう。
それにしても、ご自身が絶命なさる間際にも、人を救われるイエスの姿に衝撃を受けます。
当時の史実と繋げてイエスの路程を綴ったルカ
ルカは当時の歴史的な事実と繋げて、福音書を綴りました。それは、イエスという人物が架空ではなく実在したことを証明するためです。
このことにより、ルカは当時の歴史とイエスの存在には深い関わりがあったことを強調したかったのではないでしょうか。
- ルカ1:5 ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で 名をザカリヤという者がいた。
- ルカ2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの命令が、皇帝アウグストから出た。
- ルカ3:1 皇帝テペリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ーーー
メシヤと言われるキリストも我々と同じ肉体を持った人間であることの不思議
ルカは、どうやって我々と同じ限界のある肉体をもったイエスが神様の御心を知り、その御心どおりに生きることができたのか、そしてその姿はあたかも、肉体をもった神のようであったということを、イエスの普段の生活や行為を通して描いています。
例えば、ルカ6章では
- 敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
- あなたの頬を打つ者にはほかの頬も向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
など、とうてい実践できそうもないことをしなさい。とイエスは言います。
それは、イエス自身がそのように生きていたからこそ、それを教えとして伝えることができたのだと思います。
そして、イエスがなぜそのように出来たのかと言えば、ほかならぬ全知全能な神様が、それほどまでに慈悲深い方なのだということを伝えたかったからではないでしょうか。
- いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
- あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
と書いてあります。
また、メシヤだとしても他の人間と同様、母マリアの胎内から産まれた赤ん坊としてその人生をスタートさせたということもルカは記録しています。
いきなりキリストとして人々の前に神々しく現れたのではなく、我々と同じ無力な赤ん坊として産まれ、それもまともな産院などではなく、布にくるまって飼い葉おけの中に寝ていたと。
しかし12歳の時には既にエルサレムの宮の中で教師たちの真ん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりするほどに知恵深く、たくましく成長していました。
全知全能な神としての神的な部分と私たちと同じ肉体をもつ人的な部分を併せ持つ、メシヤ
キリスト=イエス。我々人間と神様とを繋ぐ架け橋となった、イエスだけが成し得た数々の行跡は計り知れないものがあります。
また、神様の意向、神様の御心を完全になすために、イエスは絶えず祈っています。
祈ること無しには、いかにメシヤといえども神様と完全に通じ合うことは難しかったのです。
祈ることによって生じる聖霊の御働き
絶えず祈るイエスの姿
ルカによる福音書を読むと、イエスがあらゆる病人を癒している様子が数多く描かれています。だから彼の周りには常に、おびただしい人びとが群がって来ました。
ルカ3:15-16 イエスの評判はますますひろまっていき、おびただしい群衆が、教えを聞いたり、病気をなおしてもらったりするために、集まってきた。しかしイエスは、寂しいところに退いて祈っておられた。
これは、癒しの御働きはすべて神様によるものだから、イエスを通して神様が完全に行ってくださるようにと、まずは何よりも誰よりも先に神様に切実に願い求めの祈りをしたのです。
また、イエスは大切なことを決断する時には特に、夜を徹して祈りました。
ルカ6:12-13 このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
12使徒を選ぶ時にも、イエス自身がひとりで決めずに、夜を徹して神様の意向、神様の御心を訊ね、それに従って12人の使徒を選びました。神様の御心を完全に行うためには、メシヤなのだとしても切実な祈りが必要であったことがわかります。
祈ることによって生じる聖霊の御働き
イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けて祈っていた時に、天から聖霊の声が聞こえたという記述があります。
ルカ3:21-22 さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
また、イエスは本格的な宣教活動をする前に四十日間のあいだ荒野で断食の祈りをします。
この時にも聖霊が共にしていたことがわかります。
ルカ4:1-2 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、空腹になられた。
このあとイエスは悪魔の試みにあいますが、そのすべてに打ち勝ちます。
イエスが四十日にもわたる断食の祈りが出来たのも、悪魔の試みに打ち勝てたのも、イエスの切実な祈りによって聖霊が共にしたからでしょう。奇跡を起こすためには、まずは自らが奇跡的な行いを神の前でしてみせてこそなのだ、ということがわかります。
言葉で言うのは簡単ですが、我々と同じ生身の肉体を持つイエスが、文字通り生死の境をさまよいながら行った祈りであったことを忘れてはならないと思います。
誰のためにそこまでの祈りができたのでしょうか。
その後イエスは御霊の力にあふれて、故郷のナザレに行き、安息日に会堂にはいり、聖書を朗読しました。
ルカ4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
御霊というのは聖霊のことです。聖霊は天に存在する三位一体の神様の霊です。その聖霊が常にイエスと一体となって、数々の御業を行っていたのだということがわかります。
神様を象徴する聖殿とその価値
エルサレム聖殿を「父の家」と話す少年イエス
ルカ2:41以下を見てみますと
12歳になったイエスが両親と共に、過ぎ越しの祭りを過ごした後、ひとりエルサレム宮殿に残り、そこで教師たちと過ごしていた様子が描かれています。イエスがはぐれてしまったと思い込んでいた両親は、数日間も捜しまわり、ようやく三日目に見つけましたが、イエス少年が教師たちの真ん中すわって堂々と対話している姿を発見します。
しかもイエス少年の話を聞く人々は皆、その賢さに驚嘆している様子でした。
その様子を見た両親はびっくり仰天し、イエスを叱りますが、イエスは慌てることなく冷静に
なぜわたしを捜したのですか、せっかく父の家でこうして楽しくす過ごしているのに。とかえって両親をやりこめてしまいます。しかし両親はイエスのこの言葉を悟ることができないでいました。父の家ってどういうこと?という感じだったのでしょう。
この頃すでににイエスは自分が誰なのかということを自覚しはじめていたことになります。
この記述はルカによる福音書にだけしるされている貴重なエピソードとして深い印象に残ります。エルサレム聖殿はわが父なる神様が住まう場所なのだとイエスは話していたのです。
今なら当たり前のように理解できることですが、当時においては神を父だと話すのはご法度的な言葉でした。少年イエスはそんなことはもろともせず、サラッと言い放ちます。
エルサレム聖殿の運命を予め知り涙するイエス
エルサレム聖殿がやがて破壊されてしまうことをあらかじめ知り、悲しみのあまり涙したイエスの姿が描かれています。
ルカ19:41~44
いよいよ都の近くに来て、それが見えたとき、そのために泣いていわれた、「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら、、、しかし、それは今おまえの目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう」
実際に西暦70年にローマ軍を率いるティトゥスによってエルサレム聖殿は破壊されてしまいました。このことをあらかじめ知っていたイエスの哀しみと痛みはどれほどだったでしょうか。
しかし、エルサレム聖殿を破壊したローマにキリスト教の福音が入り、キリスト教はローマの国教になりました。そして今では全世界にキリスト教の聖殿があります。
イエスの福音は決して滅びることなく、脈々と今も伝えられ、受け継がれています。
イエスによって救われた、女性たちの活躍
香油の壺を割り、イエスの足に塗った女
現代に生きる私たちには理解しにくいことですが、当時の女性たちは、ほぼ人権が無いといってもよいくらいに低く、蔑まれ、虐げられていました。
イエスが行った大きな行跡のひとつに、そんな女性たちを解放したことがあります。
特に有名なエピソードは、罪のある女性を救った場面です。
ルカ7:36以下を見てみますと
あるパリサイ人に食事に招かれたイエスが食卓についた時、罪のある女が泣きながら香油の入った石膏の壺を割り、イエスの足に接吻して香油を塗りました。
するとイエスを招いたパリサイ人は、心の中で、イエスが本物の預言者なら、この女がどういう女なのかわかるはずだとつぶやきます。
イエスはそれを見抜き、同行したシモンに尋ねます。
「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。返すことができなかったので、彼はふたりとも許してやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
シモンが多く許してもらった方ですと答えると、イエスは答えます。「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。そして女に「あなたの罪はゆるされた」と言われました。そして、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。と話されました。
この出来事は大きな波乱を生むことになります。
まずは、この女の職業が娼婦であったこと、当時は姦淫の罪は石で打たれて殺されていました。しかしイエスはその罪を悔い改めた女を許します。
イエスは旧約のモーセの律法では裁かず、イエスが来たことで、悔い改めれば罪は許されることを示しました。しかしイエスという存在が誰なのかを悟れていない人々にとっては、とうてい理解の範疇を超える出来事でした。
さらに、この出来事はもう一つのスキャンダルの火種となりました。
当時、香油の入った壺というのは、非常に高価なものであり、一年分の収入に値するほどでした。そしてその香油は、結婚初夜の時に新婦が新郎に塗る儀式として使われるものでした。
だから、イエスはあらゆる誤解を招くことになります。
当然イエスは、周囲の人々からこのような誤解を招くことは知っていたはずです。
にもかかわらず、女のすることを拒否せず受け入れたのは、心から悔い改め、真実にイエスを信じ愛したそのあかしとしてのおこないを受け入れることで、罪を許し、女を救うことを最優先にしたからです。
自身に害が及ぶことは重々承知の上で、それでもなお、救い主メシヤとしての使命を全うしたのです。現に、イスカリオテのユダもこの出来事の意味が理解出来ず、イエスにつまずいたといわれています。当時においてはこれほどまでに、物議を醸し、センセーショナルなスキャンダルを引き起こした出来事となりました。
その後、イエスによる宣教活動には、イエスによって救われた女たちも同行するようになりました。それまでは、公の場で男性と女性が共に同行したり、同席したりすることは、はばかられていました。しかしイエスはそんなことはものともせず、女性たちと、男性同様に対等に接しました。
女性解放運動を最初におこなったのは他ならぬイエスだったのです。
イエスによって救われた、その後の女性たちの活躍はめざましいものがあります。
イエスの復活を最初に発見したのはマグダラのマリヤだった
イエスが十字架の上で息をひきとられた時、そばにいたのは、ガリラヤからイエスと一緒にずっとついて来た女性たちでした。男性はただひとり、ヨハネによる福音書の著者ヨハネだけでした。他の弟子たちは皆、恐怖のあまり散りじりになって逃げ隠れてしまいました。
イエスのからだを墓に納めるのを見届けたのも女性たちだったし、三日後にイエスの墓に香料を持って訪れたのも、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤたちでした。
男たちはその間もずっと逃げ隠れたままでした。
マグダラのマリヤが墓に行ったらイエスのからだが消えていたことなどを十一弟子に報告したのです。また、霊で復活したイエスに会ったことを報告したのも彼女です。
イエスの復活というひじょうに大事な場面を目撃した最初の人は女性であるマグダラのマリヤだったのです。これは動かし難い歴史的な事実です。
ながい間、蔑まれていた女性たちが、イエスの福音によって救われ、息を吹き返し、その生涯の間、イエスと共に心情一体となって最後までイエスに仕え愛し、奉仕した女性たちの姿がまぶしく輝いています。ここで言う愛とは、いうまでもなくアガペーの愛だということをお忘れなく。神様は清らかな愛だけをお受け取りになります。
比喩で語られるキリスト、イエス
種まきのたとえ
ルカによる福音書には、他の福音書に比べて、イエスの語った比喩による御言葉が非常に多く、なんと28もの御言葉が綴られています。
その中で、たったひとつ弟子たちにだけ、比喩を解いて御言葉を伝えられた箇所があります。
ルカ8:4-17を見てみますと
大ぜいの群衆が集まった時、イエスはひとつのたとえ話をしました。
「種まきが種をまくと、まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、空の鳥に食べられてしまった。他の種は岩の上に落ち、はえはしたが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種はいばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って、百倍もの実を結んだ。」そして、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と語りました。
あとで弟子たちが、このたとえの意味を聞くとイエスは言いました。
あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されているが、他の人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬えで話しているのだと。
イエスがなぜ多くの比喩を用いて御言葉を伝えたのか、その理由を語っている貴重な場面です。そしてこの比喩を解いて話されました。
種とは神の言葉であること、道ばたに落ちたのは、神の言葉を聞いても、悪魔によってその心から御言葉が奪い取られる人のこと、岩の上に落ちたのは、御言葉を聞いた時には喜んでいても、根がないので、試練の時が来ると、信仰を捨てる人たちをいい、いばらの中に落ちたのは、聞いてからしばらく過ごすうちに、生活や富や快楽にふさがれて、信仰の実が熟すのに至らない人たちのことだと話し、良い地に落ちたのは、御言葉を聞いたのち、この言葉をしっかり守り正しくおこない、最後まで耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことであると、比喩をあからさまに解いてくださいました。
イエスのもちいたひとつひとつの比喩はあまりにも美しく洗練されていて、文学史上の最高峰であると言っても過言ではないと思います。
また、イエスの御言葉はすべてご自身が経験したことだけを語っています。
理論より、知識より、神の言葉をおこなうこと、実践することが何にも勝ると教えています。
人生を生きる上でいちばん大切なことは、すべての人々が救われて生きること、そのためには、神の言葉を聞いておこないなさいと。そして弟子たちには、この福音をあまねく人々に証し、伝えなさいと話されました。
まとめ
イエスには直接会えなかったにもかかわらず、イエスのおこなった数々の行跡を知れば知るほど感嘆し、とりわけルカ自身が医者であったことから、イエスの病人を癒す御働きのエピソードが数多く、また、美しい比喩をもちいた御言葉に大きく刺激を受けたからこそ、ルカにしか書けない福音書が生まれたのではないでしょうか。
同じく異邦人であるローマの高官テオピロ閣下にむけての書簡というかたちでこの福音書は綴られました。
神と一体となったキリストでありながら、同時に我々と同じ人間でもあるイエスの情緒豊かで人間的な側面にスポットを当てて書かれたこの福音書は、異邦人である我々にもわかりやすく面白く読めるので一読してみてはいかがでしょうか。