テサロニケ人への第1、2の手紙

パウロ書簡

主イエスの再臨を説いた使徒パウロの書簡

1) テサロニケに宛てた二通の手紙

テサロニケの信徒たちに宛てたこの二通の書簡は、西暦49年から52年の間に、使徒パウロがギリシアのコリントに滞在中に書かれたとされています。

現存するパウロの書簡の中では最も古いものであり、新約聖書のすべての書物の中でも、最も早い時期に書かれたと考えられています。

テサロニケ地域はギリシャの北部にある港町で、主都アテネに次いでギリシャの第二の都市でした。アテネからの距離は約500キロメートルで、かつてはアレキサンダー大王の時代に古代マケドニア王国の中心として栄えていました。

パウロの時代、1世紀のテサロニケは都市独自の官吏によって治められる自由都市でした。現代においても、当時のキリスト教に関連する宗教遺跡や建築物など、貴重な建造物が多数残されています。

2) テサロニケ教会が成立した経緯

パウロの二回目の伝道旅行の際、パウロ、シラス、テモテの一行がテサロニケを訪れ、そこで初めて福音を伝えました。

テサロニケで福音を受け入れた信徒たちはもともと、偶像を信じる異邦人でした(1テサロニケ1:9)。しかし、ユダヤ人たちがパウロを妬んで暴動を起こし、一行は間もなくその町から追放されてしまったのです。

彼らがテサロニケに滞在できたのは「三つの安息日」、つまりわずかひと月にも満たない短い期間でしたが、その間に熱心に福音を伝え、イエスがキリストであることを力強く証しました。

<使徒行伝17:1-10>(抜粋)一行は、テサロニケに行った。パウロは、ユダヤ人の会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、このイエスこそは、キリストであるとのことを、説明もし論証もした。ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、暴動を起し、町を騒がせた。そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した

迫害を逃れるため、パウロはやむを得ず別の都市に避難しましたが、テサロニケに滞在した期間があまりにも短かったため、テサロニケの信徒たちを非常に心配し、居ても立ってもいられない状態でした。

そこで、愛弟子のテモテをテサロニケに派遣し、彼らの信仰が揺らいでいないかを確認しました。

<①テサロニケ3:5> そこで、わたしはこれ以上耐えられなくなって、もしや「試みる者」があなたがたを試み、そのためにわたしたちの労苦がむだになりはしないかと気づかって、あなたがたの信仰を知るために、彼をつかわしたのである。

3) 信仰を守り通した信徒らを激励

その後、パウロのもとに帰ってきたテモテの報告によれば、テサロニケの人々は信仰と愛を堅く守っていました。この様子を聞いたパウロは喜びと感謝に満たされ、次のように手紙に書いています。

<①テサロニケ3:6>(抜粋)今テモテが、あなたがたの所からわたしたちのもとに帰ってきて、あなたがたの信仰と愛とについて知らせ、また、あなたがたがいつもわたしたちのことを覚え、わたしたちにしきりに会いたがっているという吉報をもたらした。

吉報を聞いたパウロは、生き返ったような安堵と喜びを感じ、神様に感謝しました。

<①テサロニケ3:7-9>(抜粋)わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたらよいだろうか

彼らは誰よりも主を中心に信仰生活を送り、その教会は存続しただけでなく、他の地域にも熱心に福音を宣べ伝えていることがわかりました。

<①テサロニケ1:8> すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。

4) 聖霊によって御言葉を受け入れる

パウロがテサロニケでわずか三週間、もしくは四週間という短い期間しか福音を伝えることができなかったにもかかわらず、テサロニケの人々はどのようにしてこれほど堅固な信仰を持つようになったのでしょうか。

それは、聖霊によって御言葉を受け入れたからだと書かれています。

<①テサロニケ1:5-7>(抜粋)なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった。

パウロは福音を言葉だけで伝えたのではなく、聖霊の力で伝えました。

その結果、テサロニケの人々はパウロにならって信仰生活を送り、マケドニヤ全体の信者の模範となるほどの堅固な信仰を守ることができたのです。

5) 聖霊が注がれるための条件

聖霊の働きが行われたのは、パウロが聖霊が下るための足台を作ったからでした。この足台を作るために最も重要な条件は、聞いた御言葉を最大限にその通りに生きることです。

御言葉に従って生きたとき、神様が働いてくださいます。そして、神様が働いてくださることで、命が生かされ、変化することができるのです。

パウロは福音を伝える際、御言葉どおりに生きる姿を見せていました。つまり、言葉だけでなく、生活や行いを通じて福音を伝えたのです。

<①テサロニケ1:5>(抜粋)わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。

<①テサロニケ2:10>(抜粋)わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。

パウロは喜びの気持ちで手紙に書き、テサロニケでどのように福音を伝え、彼らを導いてきたのかを振り返りながら、「あなた方も私、パウロのように信仰生活を送り、この福音を宣べ伝えてほしい」と伝えました。

使徒パウロが教えた信仰の実践

1) 神様を喜ばせること

それでは、パウロの生活がどういう点で他の人と異なっていたのでしょうか。

テサロニケ人への第一の手紙でパウロが繰り返し言及しているのは、「神様を喜ばせること」です。特に、生活の中で意識すべきことは、すべての行いが神様を喜ばせるものであるという点です。

<①テサロニケ2:4> わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。

生活する際には、人のことを意識せず、他人にへつらうことなく、人を喜ばせることよりも、神様を喜ばせようとすることが重要です。

常にそれを意識して行動することで、神様の御心が成され、自分自身も栄えるようになるのです。

<①テサロニケ2:5-6>(抜粋)わたしたちは、あなたがたが知っているように、決してへつらいの言葉を用いたこともなく、人間からの栄誉を求めることはしなかった

そのため、どれだけ反対されても、逆境にあっても福音を伝えることをやめませんでした。

<①テサロニケ2:2> それどころか、あなたがたが知っているように、わたしたちは、先にピリピで苦しめられ、はずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである。

人間ではなく神様を意識し、「神様がこの人に何を伝えたいのか」、「神様の心情を伝えたい」、「神様を喜ばせるために伝えたい」という姿勢で御言葉を伝えた結果、聞く人たちは「これは人間が伝えた言葉ではなく、確かに神様から出た御言葉なのだ」と悟れるようになりました。

<①テサロニケ2:13>(抜粋)わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として受けいれてくれたことである。

2) 清く生きること

テサロニケ人への第一の手紙では、御言葉に従って生きることにおいて「清く生きること」が特に重要であると強調しています。

<①テサロニケ4:1-7>(抜粋)あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきか、神のみこころは、あなたがたが清くなることである。神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。

つまり、神様が私たちを呼ばれたのは、清く生きるためだと言いました。清く生きることが神様の御心であり、それが最も喜ばれることだと伝えました。

<①テサロニケ4:3-6>(抜粋)すなわち、不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない

パウロは「情欲をおさえなさい」と強調しました。情欲のままに振る舞うことは、結局、兄弟たちを踏みつけたり、だましたりすることになると言いました。

情欲を治めるためには、相手のことを貴重で尊い存在だと考えることが大切です。

私たちの体は自分自身のものではなく、私たちを創造してくださった神様のものですから、その価値はどれほど大きいか分かりません。

このことを常に意識し、互いの存在を貴重で尊いものとして接しなさいと伝えました。

使徒パウロは、清く生きることがいかに重要であるかを教えましたが、清く生きることができない場合、それは結果的に神様と聖霊を拒むことになると述べています。

<①テサロニケ4:7-8>(抜粋)神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。

罪による快楽は瞬間的なものですが、その代価は実際におこなった罪の千倍、万倍にもなります。私たちは、罪の恐ろしさに目を開かなければなりません

神様がこの地上に遣わしたメシヤを信じず、罪を犯しても悔い改めない人々の霊は、死んだ霊となり、暗闇の霊界へ行くことになってしまいます。

だからパウロはこのように強調したのです。

<①テサロニケ5:21-22> すべてのものを識別して、良いものを守り、あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい

私たちの永遠の命、その運命は「どれだけ清く生きたのか」によって左右されます。

そのように清く生きながら、主イエスの再びの来臨を待ち望んで生きなさいと伝えました。

キリストの再臨のために備えなさい

1) 差し迫ったキリストの再臨

パウロは、テサロニケ人への第一の手紙の中で、キリストの再臨について至る所で言及しています。

イエス・キリストはこの世を去る際に「再び来る」と約束しましたが、主の再臨こそすべてのクリスチャンにとって希望、慰め、そして励ましであるとパウロは確信していたからです。

<①テサロニケ2:19-20> わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。

テサロニケの信徒たちは、キリストの再臨を待ち望みながら福音を宣べ伝えており、その信仰の姿勢が周りの地域でも評判になっていました。

<①テサロニケ1:9-10>(抜粋)あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、イエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

この手紙の中でも、パウロはテサロニケの人々に対して、再び来る主イエスを迎えるためにも清く備える生活をしなさい、と繰り返し強調しました。

<①テサロニケ3:13> そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように

<①テサロニケ5:23> どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに責められるところのない者にして下さるように

2) 再臨の時になされる「引き上げ」

どうして主の再臨について、これほどの希望を抱いて生きていたのでしょうか。それは、主が再臨したとき、主を信じる人々が天に引き上げられるからです。

テサロニケ人への第一の手紙には、主の再臨とともに人々が天に引き上げられることが記されています。

この手紙には聖書の奥義である「引き上げ」に関する代表的な聖句が含まれています。

<①テサロニケ4:16-17> すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

主イエスは、肉体は十字架にかけられて亡くなりました。したがって、再び主が来られるとき、霊として再臨されます

そのとき、まず、主イエスを信じて亡くなった人々の霊が、再臨の合図となるラッパの音を聞いてよみがえります。

つづいて、肉体が生きている間に御言葉を聞き、堅固な信仰と愛を守り続けて、清く生きた人々の霊も天国に引き上げられます

引き上げ」とは、神様と愛で一体となった人の霊が神様の懐の中(天国)に行くことです。

それは、この上ない喜びであり、最高の希望です。無限の喜びであり、幻想的な喜びではなく、実体的に喜びを永遠に享受することができるのです。

この永遠の命を得るためには、まずこの肉体が生きている間に必ずメシヤの御言葉を聞き、メシヤを信じて愛しながら共に生きなければなりません。そうすることで、その霊が引き上げられ、神様と永遠に共に生きることができるのです。

3) 再臨に備えるための生活

具体的には、どのようにすれば神様と共に生きることができるでしょうか。

パウロは「いつも喜びなさい、すべてのことに感謝しなさい」と勧めました。

<①テサロニケ5:16-19> いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。御霊を消してはいけない。

喜んで感謝して生きることで、聖霊様が共におられ、清く生きることができます。そのためには、絶えず祈る必要があります。

難しいことや心配、憂いがあっても、祈ることで神様の心や考えを受け入れ、感謝できるようになります。

目の前にある心配や憤りで心が塞がれる状況でも、祈ることで、この出来事が最終的にどうなるのか、また神様がどのように働きかけてくださるのかという根本的な意味を理解できるようになります。

絶えず祈り、神様や聖霊様の考え、愛、御力、知恵を受けると、すべてを治め、すべてのことに喜びと感謝を捧げることが可能になるのです。

人間の力では不可能だとしても、祈ることで神様が助けてくださり、できるようにしてくださいます。

このように、祈りが人生の核であり、信仰の核であるとパウロは述べています。

4) 再臨の時はいつか

いつキリストが再臨するのかということは、すべてのキリスト教徒にとって大きな関心事です。再臨の時期について、パウロは次のように記しています。

<①テサロニケ5:1-4>(抜粋)兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、突如として滅びが彼らをおそって来る。しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。

準備をしていれば、再臨がいつ起こっても再臨主を迎えることができる。しかし、準備をしていなければ、キリストは盗人のように来ては帰ってしまう、と言いました。

だから、眠っている人のようではなく、目を覚まし、気を引き締めて準備をしようと促しています。

<①テサロニケ5:6-8>(抜粋)だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。

パウロは、再臨が遠い未来に起こることではなく、自分が生きている間にキリストが再臨するという希望と緊迫感を持って、いつも再臨を意識し、待ち望み、備える生活をしよう、と説きました。

「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうしていつも主と共にいるだろう。」(①テサロニケ4:17) 

パウロのように、いつキリストが再臨しても迎えられるように、目を覚まして生きることが大事です。

使徒パウロが書いた二度目の手紙

パウロの時代には、今とは異なり、たった一通の手紙を書くことでも、想像を超えるほど大変な作業でした。それにもかかわらず、彼はテサロニケに二通目の手紙を書くことにしました。新たな問題が生じたからです。

歪曲された主の再臨の噂

1) 「主が既に来られた」という偽情報

実際には、主イエスの再臨はまだ実現していなかったにもかかわらず、「主は再び来られた」や「すでに主の日が来た」といった間違った噂がテサロニケで広がっていました。

このような噂が蔓延するようになった原因はいくつかあります。

誰かがそのような啓示を受けたとか、教会の中で影響力を持つ人がそのように言い広めた、または、パウロからそのような内容の手紙が届いたと誰かが偽って言ったなど、さまざまな理由がありました。

これに対して、パウロは「私はそのような手紙を書いていない。噂を鵜呑みにせず、いつも分別し、確認しなさい」と言いました。

<②テサロニケ2:2>(抜粋)霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。

サタンは人を通して不完全な言葉を広め、誤解や歪曲を引き起こす巧妙な働きをします。

だからこそ、パウロは「必ず、神様が立てられた使命者であるパウロを通して直接与えられた御言葉だけを中心にしなさい」と強調しているのです。

<②テサロニケ2:15>(抜粋)堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。

さらに、パウロ自身が直接伝えた言葉とは異なることを話す者から遠ざかるようにと促しました。

<②テサロニケ3:6>(抜粋)わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。

そして、使徒パウロが書いたことを示す「印」のあるものだけを信じなさいと、神様が立てた使命者を通して伝えられた御言葉だけを信じることを強調しているのです。

<②テサロニケ3:17> ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。

正しくない言葉を無分別に受け取ってしまうと、誤った認識を持つようになります。だから、注意し、惑わされてはいけない、と訓戒しました。

2) 再臨の時期について再確認

それでは、キリストの再臨の時期について、具体的にいつ起こるのか、パウロはどのように教えたのでしょうか。

<②テサロニケ2:3-4> だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

このことは、パウロがテサロニケに滞在していた時にすでに教えた内容だと言いました。

<②テサロニケ2:5-8>(抜粋)わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。その時になると、不法の者が現れる。

このような悪が満ちた後で、主イエスが再臨し、御言葉を宣布することによって悪を滅ぼすのだと言いました。

<②テサロニケ2:8>(抜粋)この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。

だからテサロニケの人々には、こうしたサタンの惑わしに騙されず、ただ真理だけを受け入れ、正しいことだけを語りなさいと言いました。

<②テサロニケ2:16-17>(抜粋)父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように

パウロの時代も今も、人間の言葉に影響を受けないように、常に分別と確認を行わなければなりません。なぜなら、どんな言葉を聞くかによって、私たちの永遠の運命が左右されてしまうからです。

ただ、神様の考えと主の御言葉だけが完全です。そのため、完全な御言葉を基盤にして生きていくことが大切です。

仕事をする喜び

さらに、パウロは「働かざる者、食うべからず」という厳しい言葉を伝えました。

これは、主がすでに再臨したという偽情報によって、テサロニケの人々の間に末世思想が広がり、「主が来られたらこの世は滅びるのだから、熱心に働く必要はない」という誤った認識と思想が生まれてしまったためです。

そこで、パウロは人々の中に漂っていた「怠惰な雰囲気」を払拭するために、喝を入れたのです。

<②テサロニケ3:10-13>(抜粋)あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。

つまり、「自分が食べる分は自分が働いて得なさい」と言いました。

それは、パウロ自身がテサロニケに滞在していた時に実践していたことでした。

人々に食べさせてもらう権利がなかったからではありません。パウロ自身が身をもって正しい生き方の模範を示すためでした。

<②テサロニケ3:7-8>(抜粋)あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたの誰にも負担をかけまいと、日夜労苦して働き続けた

パウロの命をかけた宣教活動は有名ですが、その傍らで宣教費を受け取ることなく、自らテント職人として働いていたのです。

各自がするべき仕事をしてこそ、神様も聖霊も主も共に来てくださり、神様と対話しながら仕事をすると、その仕事がうまくできるように知恵を授け、助けてくださいます。力を与えてくださり、喜びをもって行えるようにしてくださるのです。

神様から任された仕事というのは、霊的な仕事や教会内のさまざまな仕事だけでなく、キリストの体として行うすべてのことを指します。職場での仕事もそうですし、家事全般も大切な仕事です。

「祈り」も大きな仕事です。

また、御言葉を聞き、その御言葉を生活の中で実践して「自分のもの」にしていくことこそ、これより大きな仕事はありません。

使徒パウロをモデルとして、教会の仕事も社会での仕事も、神様や主と共に愛と感謝の心で喜びを持って行うことを祈ります。

艱難によって得られる祝福

テサロニケの人々は、ますます激しさを増す艱難迫害の中でさまざまな問題に苦しめられていました。

当時、主イエスをメシヤとして信じ従うことは、異端の中の異端とみなされ、想像を超えるほどの危険を伴うものでした。

場合によっては、殺されてしまうかもしれないという恐怖と戦いながら信仰生活を続けなければならなかったのです。

パウロはこの問題に対して、「これらの患難や苦難は、私たちが神の国に入るために、それにふさわしい人として自身をつくるために必要なことだ」と諭します。

<②テサロニケ1:4-5>(抜粋)あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。

患難と苦痛を体験しながら、それを通じて自分を鍛え、天国にふさわしい者として成長する機会と捉えなさい。労苦しながらもがきながら打ち勝ちなさいと、力強く励ましました。

これが神様の国、天国に行くために必要な過程であると悟り、自分の痛みや苦痛を通して神様の痛みを知り、キリストの痛みを共に体験する貴重な機会にすることが大切です。

良い時だけ熱心にする人なのか、それとも耐えがたい苦痛の時でも神様に向かう信仰が変わらずに生きる人なのか、神様は見ておられます。

ですから、私たちは問題ばかりを見るのではなく、その中で一層共にしてくださる神様を見て感じる機会にできるように、深く祈り、求める必要があります。

また、極的な艱難の期間にこそ、極的な祝福を得ることができます。

天国もただでできたのではありません。ですから、永遠の世界を得るためには、患難に打ち勝つことで得られるのです。

ふさわしい対価を支払ってこそ、その価値を貴重に思うようになり、絶対に手放さなくなるからです。

いちばん神様が私たちをご覧になるのは、むしろ患難の真っ只中にいる時だと悟ると、いつの時よりも感謝し愛することができるようになります。

このような時こそ、いっそう主イエスを呼び、聖霊に委ねて、苦痛や痛みを主と共に乗り越えれば、少しずつ「自分の信仰」が育っていき、自分自身が「信仰の傑作品」となることができるのです。

このような過程を経て、天国に行く人となれることをお祈りします。

タイトルとURLをコピーしました